時代 年代 瀬戸内市・岡山県のできごと 日本のできごと
平成 2016年 6月、瀬戸内市民図書館オープン。
2011年 3月、市道南北線開通。9月、台風12号豪雨、高潮による災害発生。 3月11日、東日本大震災。
2010年 10月、瀬戸内市立美術館オープン。12月、錦海塩田跡地を市が取得。 10月、国民文化祭おかやま2010開催。
2006年 11月、長崎県対馬市と姉妹市縁組締結。
2005年 9月、「晴れの国おかやま国体」でサッカー、セーリング会場。11月、密陽(ミリャン)市(大韓民国)と友好交流協定締結。
2004年 8月、台風16号高潮により災害発生。11月、瀬戸内市誕生。
1995年 1月17日、阪神淡路大震災。
1990年 9月、台風19号集中豪雨により大災害発生。
昭和(戦後) 1988年 5月、邑久長島大橋開通。 4月、瀬戸大橋開通。
1977年 7月、岡山ブルーハイウェイ開通(現岡山ブルーライン)。
1976年 9月、台風17号豪雨により大災害発生。
1972年 3月、山陽新幹線の新大阪・岡山間が開業(1975年岡山・博多間開業)。
1962年 9月、赤穂線全線開通。岡山国体開催。
1961年 4月、錦海塩田が完成し、塩田で枝条架を利用した製塩が行われる。1971年に塩田を廃止し、イオン交換膜法による製塩となる。
1947年 4月、国民学校は小学校に。新制中学校設立。県知事と市長村長を初めて選挙で選ぶ。12月、天皇行幸、邑久郡の水害地なども視察。 5月、日本国憲法施行。
1945年 9月、枕崎台風で吉井川が氾濫、邑久郡西部で大災害となる。翌年4月にも豪雨があり吉井川が再び氾濫。 8月、敗戦。
昭和(戦前・戦中) 1941年 4月、小学校は国民学校となる。 12月、太平洋戦争はじまる。
1930年 国立療養所長島愛生園開所。
大正 1923年 9月、関東大震災。
明治 1872年 8月、学制頒布。各小区に小学が設置されるようになる。のちに教育令、小学校令などで各村の小学校や郡内各村組合立の高等小学校が整備されていく。
1868年 7月、江戸を東京と改称。9月、「明治」と改元、一世一元とする。
江戸時代 1856年 差別的な触書きに対して撤回を求める強訴が行われる(渋染一揆)。
1830年 尻海の船乗りが乗った「神力丸」がバタン諸島(フィリピン)に漂着。
1682年 朝鮮通信使来日、岡山藩が牛窓・御茶屋で使節を接待する。1711年、1719年、1748年、1764年にも御茶屋で接待。
1666年 岡山藩の神社整理と寺院淘汰で寺社がつぶれる。
1632年 池田光政が岡山藩主となる。岡山藩家老の伊木家が虫明村に陣屋を設ける。
1624年 朝鮮通信使来日、岡山藩が牛窓・本蓮寺で使節を接待する。1636年、1643年、1655年の来日時にも本蓮寺で接待。
1600年 関ヶ原合戦で宇喜多秀家が敗走。 関ヶ原合戦で徳川家康軍が勝利。1603年には徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
戦国時代
室町時代
1567年 宇喜多直家が明禅寺合戦に勝利。その後戦国大名に成長する。
1534年 宇喜多能家、島村豊後守に急襲され砥石城で自害するという。
1483年 備前福岡合戦。 1467年の応仁の乱勃発から全国で合戦が頻発し、戦国時代になる。
南北朝時代 1350年 室町幕府将軍・足利尊氏が備前福岡に帯陣する。
鎌倉時代 1278年 一遍上人が「福岡の市」で布教。 このころ瀬戸内市域にも荘園がつくられる。
福岡庄、靫負郷、服部郷、土師郷、磯上保、須恵保、豆田庄、豊原庄、尾張保、包松保、長沼保、山田庄、佐井田保、裳懸庄、鹿忍庄、牛窓保など。
平安時代 1179年 平清盛、安芸厳島への参詣途中、牛窓に宿泊する。
941年 備前国邑久郡桑浜に海賊の藤原文元らが上陸するという。
奈良時代 このころの邑久郡には10郷があったとされる(和名類聚抄)。
邑久郷、靫負郷、土師郷、須恵郷、長沼郷、尾沼郷、尾張郷、柘梨郷、石上郷、服部郷
794年、平安京(京都)に都がうつされる。
713年 「好字政策」により、国・郡・郷名を2字の好字で表記するようになる。このころから郡名を「邑久」と表記するようになる。 710年、平城京(奈良)に都がうつされる。
飛鳥時代 7世紀 寒風に須恵器の窯が築かれ、約100年操業する(寒風古窯跡群)。古代寺院が建立される(服部廃寺・須恵廃寺など)。 645年、いわゆる「大化の改新」。
古墳時代 6世紀 須恵器を焼く窯が築かれる(邑久古窯跡群)。前方後円墳がつくられる(二塚山古墳など)。土器を使った塩づくりが盛んに行われる(師楽遺跡など)。
3世紀後半~5世紀 牛窓地域や長船地域に有力者の墓である前方後円墳がつくられる(天神山古墳・鹿歩山古墳・花光寺山古墳・築山古墳など)。 4世紀中ごろ、大和政権による国内統一がすすむ。
弥生時代 3世紀~紀元前3世紀 西暦239年、邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送るという。
瀬戸内市域の各地に集落がつくられる(門田貝塚・助三畑遺跡など)。コメをつくっていたと見られる。
弥生時代になると稲作(コメの栽培)が行われるようになる。
縄文時代 紀元前4世紀頃~約1万5000年前 土器や石器を使い、狩猟や漁労、植物を採集して生活する。一部では集落をつくる(大橋貝塚・5000年前、黄島貝塚・6000年前など)。
気温が上昇し、海水面が上がる(縄文海進)。約8000年前には瀬戸内海がほぼ現在の姿となる。
旧石器時代 約2万年前 瀬戸内市域でも人々が石器を使い、狩猟などの活動をする(広高山遺跡・尻海才ノ峠遺跡・牛窓黄島遺跡など)。
日本列島には3~4万年前ごろ人類が移動してきたと言われている。石を加工した道具(石器)を使い、狩猟や植物食料の採集をして暮らした。